爆笑問題・太田光の炎上における所属事務所タイタンの法的措置ステートメントに感じる[違和感]の正体
“近年SNSの発達により、当社としても、皆様方の直接のお声を拝聴できる機会が増え、そこには当社としても学ぶべきご意見が数多く存在することから、皆様から愛されるタレント育成のためにも、日々参考とさせて頂いております。
タレント個人を守るという社としての責務を全うすべく、一定のラインを超えた表現については厳しく対処していく必要があると判断するに至りました。
表現の自由の範囲内を超えていると判断される誹謗中傷や虚偽事実の拡散等につきましては、不本意ではございますが、刑事告訴や被害届の提出を含む法的措置により、毅然とした対応を取って参りますことをここにお伝え申し上げます。
最後に、SNSは誰かを容易に攻撃できるという危険性を孕んでいる一方で、使い方さえ誤らなければ非常に便利で暮らしに役立ち、さらには誰もが表現者になることのできる 素晴らしいツールであることは間違いありません。
誰かのやさしい言葉で、一日が楽しく穏やかに過ごせる、そういった日常を過ごすためのツールとして、今後も活用が進むことを心より祈念致しております”
この問題。
そして、この文章。
なんか違和感があるんだよな。
違和感というか、「お前が言うなよ」というツッコミどころ満載というか・・
いちばんの違和感は爆笑問題というお笑いコンビのネタ、および太田光という一人の男がこれまで行ってきた言動とあまりにもかけ離れていること。
これが普段、別に毒舌も暴言も吐かずにおとなしくしてる俳優とかタレントとかの所属事務所がこういうものを発表するなら、まだわかる。
ところが、爆笑問題や太田光はこういう路線じゃなくここまでやってきた。
そういう芸風じゃなかったでしょ。
それは僕たちは昔から見てきたし、それが彼らの「ウリ」「特徴」のひとつだった。
その攻撃性というか、暴言や毒舌こそが彼らの(とりわけ太田光という人物の)最大のウリであり、特徴だった。
少なくとも、ここで書かれているような《誰かの優しい言葉で、1日が楽しく穏やかに過ごせる、そういった日常を過ごすため・・》云々という「ほっこり」とした世界観とは真逆に位置している芸能人だったはず。
それが彼らの魅力のひとつだったはず。
そういうのといは程遠い芸風であり、攻撃性でずっと彼らは誰かを(ときには政治家であり、ときには芸能人であり、ときにはそのとき話題になった人物を)、揶揄したり、毒舌を吐いたり、攻撃したりしてきたじゃないか。
それなのに、急にこのようなステイトメント・・
なかには、太田光の言動によって傷ついた芸能人や政治家や一般人がいたはずだ。
(いや、絶対いたに違いない)
「毒舌」といえば聞こえはいい。
でも太田光はこれまで結構ひどいことをテレビやラジオなどで言ってきた人物だと思う。
つか、何度も言うようにそれが彼の芸風であり、特徴であり、ウリだった。
例えば、とある有名司会者(小◯さん)のヅラの件だってそうだ。
あれをテレビで生放送中に口にして、笑いを取り、話題となった。
よく考えたら、あれだって相手にしてみたら「傷つく」ことだよね。
なに、自分が言う分にはいいけど、自分が言われるのはダメなのかい!?😲
そんな身勝手な話があるだろうか?
完全にそれ、ジャイアンの発想じゃん・・
この文章に違和感を感じるのはそこの部分だと思う。
『お笑い芸人は何を言ってもいいけど、一般人はダメ』
おそらく太田光代さんはそのように考えてるのかもしれないけれど、そんなことはない。
太田光さんがお笑い芸人である前に人間であるのと同じように、太田光さんがこれまで攻撃したり揶揄したりバカにしたりしてきた人たちだって人間なのだ。
なかには、その言動によってすごく精神的に傷ついた人だっていたかもしれない。
生放送中に自分のヅラを指摘され、笑いに変えられた司会者の人だって、もしかしたらすごく精神的に傷ついたかもしれない。
「訴訟だ!」とかワーワー騒がないだけで。
自分が言う分には良くて、自分が言われるのはダメなのかい?
今回、太田光が炎上したことはある意味、仕方のないことだったと思う。
炎上するようなことを言ったわけだから。
炎上するようなことを言っておいて、いざ炎上したら「訴訟だ」と言うのはちょっと違うような気がする。
そういうことを言わないのが『お笑い』だったはず。
それを言っちゃ「笑い」が成り立たなくなる。
なぜなら、訴訟というのは深刻な話だからだ。
笑いとはほど遠いものだからだ。
爆笑問題のネタで笑ったことは一度もないし、おもしろいと思ったこともない。
それなのに、これ以上笑わなくさせてどうする??
しかも、所属事務所が・・😲
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