村上春樹に学ぶ「腹が立ったとき」のいちばん賢い対処法
僕が敬愛してやまない小説家・村上春樹さんが2009年に発表した、『走ることについて僕が語ること』というエッセイは本当に素晴らしい本です。
この本を読むと、なぜか無償に走りたくなります。
そして、なぜか心が前向きになります。
この本のなかで、村上春樹さんは珍しく人生について語っています。
あの人は昔からあまり『人生哲学』みたいなものを真正面から語らない人でしたから、最初読んだときはとても驚きました。
でも、その内容が非常にためになるものばかりで、生きるうえでとても重要なことが書かれていると素直に思いました。
それまでの村上春樹さんは人生を語ったり、生き方を説いたりするのをあえて避けてきたような気がします。
そこがクールで魅力的だったのですが、なぜかこの本あたりから人生について語ることが多くなってきたような気がします。
村上春樹さんはこの本のなかで書いている内容はどれも大変興味深いものばかりなのですが、特に僕はこの文章がいちばん心に残りました。
誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)非難を受けたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。
いつもより長い距離を走ることによって、そのぶん自分を肉体的に消耗させる。
そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。
いちばん底の部分でフィジカルに認識する。
そしていつもより長い距離を走ったぶん、結果的には自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる。
腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。
悔しい思いをしたらそのぶん自分が磨けばいい。
そう考えて生きてきた。
黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分のなかに呑み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の中に、物語の一部として放出するようにつとめてきた。
「腹が立ったら自分にあたれ。悔しかったら自分を磨け」
これって、すごくいい言葉だと思いませんか?
とくに対人関係なんかで嫌な目に遭うことってありますよね。
人からバカにされたり、誹謗中傷を受けたり。
悪口を言われたり。
そんなとき、みなさんならいつもどうしてますか?
その相手と対峙しますか?
「いや、それは違う! それは誤解だ!」と言って反論しますか?
まあ、そういうやり方もときには功を奏すときもあるでしょう。
でも僕の経験上、そういうふうに反発したり、反論したりしても、あまり良い結果にはならないことの方が多いような気がします。
だいたいが消耗するだけで、まともにぶつかってもまずロクなことにはならない。
じゃあ、どうすればいいの?
そんなとき、ぜひこの村上春樹さんの言葉を思い出してください。
「腹が立ったら自分にあたれ。悔しかったら自分を磨け」です!
結局のところ、人生を生きるうえでこれがいちばん有効な手段だと思います。
いつまでも腹が立つ相手と関わっていてもほとんどの場合、良い方向へ進んでいきません。
ストレスがたまるだけです。
そのことは、みなさんも薄々気付いているはずです。
いちばんの復讐は『みなさん自身が幸せになること』です。
松任谷由実の歌にも確かそんなタイトルの曲がありましたよね。
みなさんが幸せになること。
それがいちばんの復讐です。
そして、それがいちばん相手が嫌がることでもあります。
だから、いつまでもくだらない相手に構ってないで、さっさと自分を磨くことに集中しましょう。
そっちにみなさんのエネルギーを注ぎこみましょう。
この本のなかで、もう一つ僕が好きな文章が次にご紹介する文章です。
これなんかも実に村上春樹らしい人生哲学ですね。
僕もどちらかといえば協調性がなく、自分勝手に生きてきましたが、そういう生き方ってやっぱりどこかで摩擦を生みます。
でも、その摩擦は「しょうがない」と僕も割り切っています。
そういうものはこういう生き方にはつきものなのだ、と思うようにしています。
日常生活においても仕事のフィールドにおいても、他人と優劣を競い勝敗を争うことは、僕の求める生き方ではない。
つまらない正論を述べるようだけれど、いろんな人がいてそれで世界が成り立っている。
他の人には他の人の価値観があり、それに添った生き方がある。
僕には僕の価値観があり、それに添った生き方がある。
そのような相違は日常的に細かなすれ違いを生み出すし、いくつかのすれ違いの組み合わせが、大きな誤解へと発展していくこともある。
その結果故のない非難を受けたりもする。
当たり前の話だが、誤解されたり非難されたりするのは、決して愉快な出来事ではない。
そのせいで心が深く傷つくこともある。これはつらい体験だ。
しかし年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった。
考えてみれば、他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことができるのだ。
僕の場合で言うなら、小説を書き続けることができる。
ひとつの風景の中に他人と違った様相を見てとり、他人と違うことを感じ、他人と違う言葉を選ぶことができるからこそ、固有の物語を書き続けることができるわけだ。
僕が僕であって、誰か別の人間でないことは、僕にとってのひとつの重要な資産なのだ。心の受ける生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の対価である。
僕もよく人から「変わってる」と言われます。
だから、ここで村上春樹さんが語っていることは何となくわかるのです。
子どもの頃から言われ続けてきましたし、今も言われています。
でも、よく考えてみると、その「変わっている」というのは彼らサイドから見てのことですよね。
何をもって「変わっている」とか「変わっていない」って判断しているのでしょうか。
今、自分の人生を振り返ってみてつくづく思うのは、「ああ、オレは他の人と違っていて良かったなぁ…」ということです。
僕の場合、「変わっている」ということが人生において大いに助けとなりました。
もしも僕がほかの人と同じような人間だったら、今でもサラリーマンを続け、毎日毎日ため息をつきながら、青い顔をしてノルマの達成を目指すだけのド最低な人生を送っていたことでしょう。
僕は変わり者だったから救われたのです!